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第9回総会基調
 

 第1号議案 私たちをとりまく情勢  

 
 20世紀から21世紀への橋渡しであるこの2年を、どうみておく必要があるでしょうか。
 私たちは、グループホーム建設を行政に求めてこの1年半交渉をおこなってきました。グループホームを行政につくらせることにこだわった理由を、情勢をみていく中で明らかにしていこうと思います。 

■ 今の社会状況の特徴
 91年、ソ連邦崩壊でもって冷戦構造が終わるという大きな歴史的転換点がありました。多くの人は平和な時代が来るとみていましたが、同年に湾岸戦争がおきてから今日のアフガン空爆まで戦争はおこなわれ続けています。究極の差別である戦争は、今このときにも続いています。
 他方、83年の国際障害者年が始まって以降も障害者差別は無くなるどころか、むしろ強まっています。凶悪事件を背景にした、精神病者に対する保安処分攻撃は強まり、医療ではなく拘禁が医者からもさけばれ、社会の問題に目をむけず病者に責任をおしつけるようになっています。また、障害者殺しなどもあいつぎ、世界中で差別が蔓延している状況にかわりはありません。
 国内的にはバブル崩壊以後、政府は多額の財政赤字を抱える一方で、資本に莫大な財政を投入し下支えしようとしました。しかし多くの会社が倒産し、失業者が増えていきます。さらにユニクロにみられるように、大資本は工場の海外移転で国内産業の空洞化をつくり出しています。これらにより、完全失業率6%(360万人)、実質には12%(720万人)をこえるであろう戦後最悪の状況を迎えています。日本の国家財政と資本主義は危機的な状況なのです。
 今の社会状況は危機的なのです。こうした状況を打開するために、政府は「構造改革」の名のもとに、新自由主義にまい進しています。

■ 新自由主義とは何か
 新自由主義の考え方は、以下のように要約できます。

? 経済をたて直すには生産の強化がされるべきで、そのために投資資金をうみ出すために所得税や法人税を減税する。

? 経済のたて直しには、労働規制・経済規制をはじめ各種の規制を緩和し、できるだけ企業の自由に任せる。

? 行政にも市場原理を導入し、効率化をはかり、財政赤字の削減をねらう。

? これまでの福祉政策は「怠け者」を多数うみ出し、1970年代後半から先進各国で多額の財政赤字をうみ、経済を停滞させ、社会を停滞させた。

? 福祉予算を削減すれば、「怠け者」たちは仕事を探し自立するようになる。また財政赤字の削減になる。社会保障はそれでも働けない高齢者や障害者に対する最小限のものにする。

 したがって新自由主義的な政策では、まず労働者の権利はく奪、社会保障費の削減、社会保障を受けにくくするようにさせられます。アメリカやイギリスでは1980年代に国の事業は次々に民営化され、労働組合つぶしが横行しました。また障害者に対しては、徹底した妊婦の検査により妊娠早期に「予防」という名のもとで障害児を抹殺する政策が強力におし進められました。
 日本でも、1998年に労働法制の改悪により、女性労働者の深夜労働の解禁、派遣労働の職種拡大などがされ、労働者の権利を大幅に奪うと同時に、私たち障害者に対して、1990年代に高齢化の進行の中で旧厚生省はゴールドプラン・新ゴールドプランを打ちだし、ヘルパー派遣の拡充を民間委託で乗りきろうとしました。しかし新旧ゴールドプランは深刻な介護者不足と、年金・医療費の赤字をうみ出して破綻しました。そこで政府は介護保険制度を導入しました。これに連動して2000年5月29日に社会福祉法が成立して、今、措置制度から契約制度への移行と、支援費制度の導入がはかられています。

■ 新自由主義の福祉制度=契約制度の問題点
 その問題点を、以下にあげます。

? 障害者の中に差別が持ちこまれます。多くの障害者にとって学習が非常に不足している現状では、自分で業者とサービスを選択して使いきれる障害者などごく少数になると思われます。障害者の中に、能力主義、差別を持ちこむことになると考えられます。

? 福祉の商品化の問題があります。事業所やサービス内容を自分で選ぶことで、一定の自己決定が保障されたようにみえますが、これでは与えられた中での選択の自由にすぎません。私たちが求めてきたのは対等な人間関係とその保障でした。これでは新しい人間関係の構築などはできなくなりますし、差別糾弾の発想も無くなります。

? 行政責任の縮小の問題があります。グループホーム設置やヘルパー時間枠の拡大などは、今までは行政の事業でしたから行政に要求できました。しかし契約制度にかわると、福祉は商品サービスになりますから、その内容は企業が一方的に決めるものになります。障害者の「生きる権利」さえ、行政は保障できなくなるのです。また同じような要求をもつから団体はつくらるのですが、行政が福祉に責任を持たないのでは障害者団体の団結はいっそう難しくなります。

? 福祉サービスを使うことが恥とされる社会になることが考えられます。例えばアメリカのニューヨーク市では生活保護受給者を減らすために、受給者への指紋押捺義務付けや、受給者に傍目から見ても受給者と分るような服を着させて街頭掃除などの嫌がらせがされるようになりました。その結果、受給者は116万人(94年)から84万人(97年)に減りました。このようなことが私たちにもされれば、すべての福祉受給者と同時に、障害者に対する差別もいっそう強まると思います。労働者(介護者)との分断も強まると思います。

 結果、施設内においてはさらなる虐待事件や嫌がらせが頻発するでしょう。地域においては介護は買うものという社会的風潮が強まり、生きた人間関係はますます軽視され差別が強まるでしょう。
 私たちは、こうした流れを止めたいと思います。障害者が生き生きと暮らせる社会をつくるために、ますます障害者解放運動を前進させていきたいと思います。
 

 第2号議案 運動総括  

 
 私たちは、このような情勢判断のもと4つの活動を行いました。

■ 本格的な行政交渉の開始
 昨年5月から行政交渉は始まりました。
 第1回目の市役所交渉では要求内容がまとまらず、共同生活の意義の打ちだしは弱く、むしろ共同生活で介護がうまくまわるという色合いの強いものになりました。しかも、事務局の判断で代表・事務局長・専従のみでの交渉としたため、迫力に欠けるものとなってしまいました。
 その交渉を通して市議会議員の支援をかちとったことを除くと、とりあえず要望を出したという以上ではなかったと総括しております。
 この交渉のすぐ後に、幅広くよびかけた大衆行動としてもう一度市交渉をおこなうという手もあったのですが、「共同生活の意義とは何か?」という論議が混乱していましたので、その整理に努め、施設交流会を通して幅広い論議をする中でセンターの陣形の立て直しをはかることとしました。
 春に総会を行ってから、幅広い大衆行動として交渉を設定するよう運動方針を切りかえた方が、会員の皆さまにも事務局の考えがきちんと伝わっただろうと思われますが、タイミングを逸したので論議がしづらくなったのもあり、総会を延期したまま5月に県交渉を取りくむこととなった次第です。
 こうした事務局の不手際にもかかわらず、県交渉には27名(障害者13名、健常者14名)の大結集をかちとり、県からモデル事業としての検討という言葉まで引きだすことができました。

 勝利の要因は、結集した人数の多さに加え、参加者全員が障害者の集団生活の必要性を押しだせたことだと思います。県は5年に1度、障害者実態調査を行いますが、障害者がどのような経路をたどって自立生活を始めるのかまでは知りません。そこでどのような協力体制のもと、障害者の自立生活が維持されているかに県は興味を持ったようです。
 県の発言を糧に、7月には再度市交渉を取りくみました。建設課と高齢障害課と交渉を、県交渉のときと同じくらいの大結集で行い、障害者の集団生活の必要性を訴えました。しかし市役所の不手際で交渉時間は短くされ、言いたいことは言えないまま時間切れとなる不満の残るものとなりました。交渉時間の短縮については、市はこのときは弁明しませんでした。
 県交渉のときと異なり、市が共同生活の意義に興味を示すどころか、聞く態度さえ無かったことは非常に特徴的でした。
 この市の姿勢に対し事務局は9月に第3回目の市役所交渉をもちました。交渉では、質問状というかたちで高齢障害課の態度を糾弾すると共に、私たちが考える共同生活の意義についてもう一度語りかけました。このときは時間をたっぷりとったのもあり、お互いが落ちついて話しをできた感じで、私たちとしてもようやく言いたいことが伝わった感じがしました。結果、市も障害者の共同生活の意義を認め、県と一緒になってグループホームに取りくむと話すほどになりました。市の態度の急変の理由について高齢障害課の課長に聞いたところ、県から予算がつくことを聞いたからとのことでした。
 4回の行政交渉で、グループホーム設置についてある程度のめどがついた次第です。このスピードから、障害者の結集がいかに大事なのかということがあらためてよく分かりました。

■ キャンプ代替企画
 今年度はキャンプは取りくみませんでした。そこでキャンプの代替企画として、「常盤公園に行こう」を取りくみました。この企画の目的としては、施設障害者に対しては運動への参加を、学生に対しては障害者解放運動の内容を伝えることとしました。
 しかしながら実際には、施設障害者との交流が十分にはできませんでした。事務局メンバーが施設障害者に十分意識的に話しかけず、施設交流会前段という位置付けを貫徹できなかったのです。
 また学生にたいし企画の目的を十分説明してこれませんでした。トイレ介護は同性介護が基本というセンターの考えすら説明できていなかったのです。学生に異性介護の問題性をはっきり説明するなど、解放運動のあり方を伝えようとする事務局の姿勢の弱さが明らかになったのです。
 これらの課題は、企画の前に事務局会議で十分獲得目標を話せていないからだと思われます。このような現状をあらためていくために事務局会議の充実を努力していこうと思います。

■ 施設交流会
 今年も施設交流会は開催されました。施設委員会から、契約制度への移行が2003年に予定されているので障害者の「金銭管理」はこれからますます重要な課題になるという判断が出されたので、「金銭管理」がテーマとされました。しかしながらこの企画については、多くの課題がでました。
 まず準備が大幅に遅れました。その原因の1つは、施設委員会での論議が事務局会議へ報告されるのに1ヶ月かかったということです。もう1つの原因は、交流会に使うレジュメの完成が遅れたことです。結果、12月開催予定のところを1ヶ月延期するに至りました。
 当日の論議も当初の予定から大きくずれました。
 実際には「異性介護」が中心に語られ、「金銭管理」の現在的な重要性は十分参加者の間で確認されませんでした。どのようにして障害者が自らの年金を親の手からかちとるかという経験談も話されず、新しく来た障害者にアドバイスも無かったのです。当初の目的は達成されませんでした。

 とはいえ施設交流会を過去4回にわたりやってきたことは成果だと思います。全障連の施設小委員会が解体した90年代以降、施設障害者が話しあう場が全国でも稀なのです。そして、現在県下ではこのような交流会をやる障害者団体は無いのです。
 キャンプ代替企画でもそうでしたが障害者が自分の経験を積極的に他人に伝えようとしない問題は、障害者同士の団結は話しあうことからしか生まれない以上、とても大きいと思います。
 この経験を活かし、さらに新しい障害者がつどいやすい施設交流会にしていこうと思います。

■ 事務局通信の発行
 2000年には4月1日、7月5日、8月16日、11月15日、2001年には5月3日、6月20日、8月10日、10月1日に事務局通信が出されました。
 2001年の前半は施設交流会担当者の原稿を待っていたため通信発行が止まってしまいました。事務局としては、原稿を書くこと自体が障害者の闘い(責任をとること)であるとして、担当者に執筆するよう追及していた次第です。とはいえ通信が出なかったことについては、会員の皆さま方に対し大変申しわけなく思っております。
 今後の発行については、事務局の現状からいって2月に1回のペースであれば発行できると思います。今後とも事務局の動きが、会員の皆さまにもきちんと見えるよう努力してまいりたいと考えております。
 また、事務局通信の感想や意見などありましたら事務局までいただきたく思います。
 

 第3号議案 運動方針  

 
■ グループホーム建設運動と労働者・学生との連帯
 情勢でも述べた通り、小泉政権のおし進めようとしている構造改革に対抗する唯一の方針であるグループホーム建設運動を?障害者同士の団結、?労働者、学生との連帯の側面から、提案したいと思います。

?障害者同士の団結
 新自由主義政策により、障害者は福祉サービスを消費する存在としておとしこめられ、これまで行政と闘いつくってきた制度や政策は否定されます。これをつくり出すために、障害者が集まり長い時間かかって、団体を形成し団結を深めてきました。このことも福祉の脱政治化により、意義が薄くなります。障害者は団結する必要がなくなり、バラバラに分断されてしまいます。従って、障害者が団結することが新自由主義に対抗する最重要課題となります。
 この間実感できたことは、障害者の団結によってしか運動は前進しないということです。全国どの地域どういう要望でも、要望を始めてから行政が検討するまでに5年以上かかります。私たちは昨年5月に要望書を出して以降、県に1回、市には2回の交渉を、毎回20名程度(障害者は各地域・各施設から常に15名程度)の参加で、共通の声としてグループホーム建設を求めてきました。今、市は県と一体となって支援することを約束しています。私たちの団結の成果であると思います。もちろんこれには、今まで10年の当センターの活動が、あるからこそだと思います。
 手足が動かないことによる社会経験の不足は、同じ境遇にある障害者が一緒に住んで、時間をかけて互いの歴史を語りあい、どのような差別を受けてきたかを評価しあうことからしかまりません。あまりにもひどい差別を受けてきたがゆえに、みずからもそれに応じた差別をする存在であることが集団生活の中でしかつかみとれません。そして、このような共同生活の中で、自分たちの障害を客観的にみつめるれるようになります。結果、本人に生きる気力がわいてきて結果的に障害が軽くなります。すると周りの仲間も生きる気力が増します。このことを5月の県交渉では、施設・地域を貫いた障害者の声として前面に打ちだし、県の理解を得ました。それが後の2回の対市交渉に活きています。
 今後も障害者の団結を最大の武器とし、グループホームを具体的な要求へと押し上げていきたいと考えます。この過程において、新たな障害者の自立を勝ちとりながら、団結の輪をさらに広げ、団結をつくり上げていきたいと思います。

?学生、労働者、介護者との連帯
 情勢でも書いたように、小泉政権は、あふれ出た失業者を福祉産業へ雇用先の1つとして考えています。一般の企業でも福祉産業に参入しやすくするため規制の緩和を進め、市場原理でそのまま福祉事業を行えば、先に書いたように労働者の雇用形態は不安定になり、労働条件はさらに過酷とならざるをえなくなるでしょう。
 現在アルゴに派遣されているヘルパーさんも、夜10時ごろまで残業をしている上に賃金はあがらずじまいだそうです。介護保険が始まってからだそうです。
 このように契約制は、福祉労働者にさらに過酷な労働を強いていきます。このまま規制緩和が進めば福祉産業に従事する労働者の労働条件はさらに悪化します。その結果、福祉サービスの低下を招くでしょう。その労働条件も、到底割にあうものではなく、サービスの低下がおきるのもやむなしという感じです。このように民間だけが福祉に携わるようになれば、今以上に私たち障害者にとって生活ができなくなるのは必至です。
 また、この新自由主義の考え方からいえば障害者はさらに差別される存在として固定されます。
 情勢のところでも書いたように失業者が6%、つねに不安定な雇用状態にある中で、福祉サービスを受ける人たちを多くの労働者はどうみるでしょうか。「自分で生きられない劣った存在」として確認されていくでしょう。現在でもそういうふうにみられがちですが、社会福祉自体が国の事業としてあるのでこちらも特別のことではなく、「憲法で保障されているのだ」といえたわけです。社会保障を受けること自体が悪いこととされれば、大昔のように、石を投げられたりすることとなるでしょう。それだけでなく、障害者と介護者の関係は、契約のもとで、やりたいことをやってもらうというのみの関係に落ちこみ、同じ目線にたって、一緒に、社会をつくり出すことなど到底創造しようもなくなると思います。
 実際にアルゴでは、介護者会議を通じ、障害者と介護者で、どのようにすればうまく生活できるかを話しあってきました。このような営みは、障害者と介護者が、多重的な関係を結ぼうという試みなのです。要請書にも書いたとおり、人間が成長していく上で、いろんな人とコミュニケーションをとることが、非常に大事となるわけです。昨年の行政交渉をひき続き、ここを前面に押しだすかたちで、行政の責任のもと、事業をしやすくするような補助を勝ちとる闘いへ進撃しなければなりません。これから具体的な要求を出していくようになりますが、あくまで行政が責任主体として、つくり出せるよう、進めていきたいと考えます。

 これら、??から明らかなようにグループホーム建設を本格的に進めていかなければなりません。具体的には、建築課の矢原市営住宅の設計を自分たちの要求を入れこませながらさせるとか、県の障害者いきいきプランづくりにしっかりかんでいくなど、たくさんの課題が山積みです。また、情勢で書いた、新自由主義批判として、このグループホームの闘いが、あるということも知っておいてほしいと思います。実際に、契約制度が始まれば、福祉課の人員はさらに削減され、一人の仕事が余計に増えると予測されます。自治体労働者にも、連帯する闘いだということです。

■ 差別の極限である、戦争に反対すること
 私たち「やまぐち障害者解放センター」は、8・6を反戦の重要な闘争として位置付けてまいりました。なぜなら、障害者を含む差別を受ける人にとって、戦争は最も差別の極限状態があったと思っているからです。
 人を人と思わないときに、戦争は起こります。私たち障害者は、最も人として扱われてこなかった歴史をもっています。人として生きたいという運動が、障害者解放運動ならば、人を人でなくする戦争に対し、反対するのは道理だと思います。
 また、原子爆弾や原発によって、ヒバクシャというかたちで障害者がつくりだされていっています。この人たちとも連帯して、一緒にいわれなき差別に対し、声をあげていきたいと思います。
 とりわけ、先日から開始されたアメリカによるアフガニスタンに対する戦争とそれに対する自衛隊の参戦これに関する法律の成立策動に反対行動と毎年の8・6への参加あらゆる反戦・反差別闘争に、自らの課題として設定し、闘っていくことが問われています。

■ まとめ
 方針をまとめると次のようになります。

? 障害者の自立の拠点として、グループホーム建設運動を大胆に進め、多くの人たちと共通のものにしていくこと。新たな障害者の自立を勝ちとること。

? 障害者・労働者・学生連帯をもとめて闘うこと。

? 差別の極限である、戦争に反対すること。

 今こそ4本柱を全面に出し、具体化しましょう。事務局通信をこまめに出し、事務局の動きがなるべく早く伝わるようにしていきたいと思います。また今冬の施設交流会で、さらなる議論を積み重ね、グループホーム建設運動を、施設、地域を貫いた闘いとして、また新自由主義との具体的な闘いの1つとして、他団体(労働組合や市民団体)との共同闘争として押しひろげていこうではありませんか。
 

 介護委員会  
 
2000年度介護委員会の活動報告

○4月から6月にかけて
 今年度も新歓期に山大、県立大、コ・メディカル学院の新入生を対象にした介護説明会を行ない、多数の人たちを集めることができました。また、県立大の新入生を対象にピクニックを開催し、計20名ぐらいの人たちが介護に入っています。

○7月から9月にかけて
 山大で七夕祭でビラまき。
 8月から9月の夏休みは、少ない介護者でやってきました。専従をやっていた村上君が引っ越しをしたので、交代で千村君に専従をやってもらうことになりました。

○10月から11月にかけて
 とまりの介護が少なくなりましたので、各学校へ出ていってビラまきをしました。

○12月から1月にかけて
 冬休み・施設交流会の参加

○2月から3月にかけて
 大学生の皆さんと送別会。
 専従をやっていた松尾君の送別会をしました。

○4月から5月について
 今年度も新歓期に山大、県立大、コ・メディカル学院の新入生を対象にした介護説明会をやりました。新入生を対象にピクニックを開催し、合計8人でした。そこで施設の現状についてKさんから報告がありました。

○6月から
 日曜日ヘルパー派遣問題については解決していません。まだアルゴの障害者は決めていません。
 1年半前から、障害者がルールを守らないことで介護者から批判があります。
 懸案となっている寝る介の2人体制の問題ですが、介護者を増やさないといけません。

■ 「介護者会議」の報告
 この間介護者会議では、障害者に関する諸問題(介護者との関係作りや、異性介護の問題、結婚問題、アルゴでの就寝時間等)やKさんの施設からの「自立」をどのように支えるのかということについても議論してきました。
 その中で具体的なことをいくつかあげれば、「介護調整をする際、携帯電話やメールを使わず、アルゴの電話を使い、障害者全体でとりくみ、早めに介護者に介護の依頼をすることと、介護者については、介護に入れなくなった場合、最低3日前に連絡を入れる」等といったルールをつくりました。
 これ自体、「対等な関係」を追及するものです。
 またKさんが、地域に出てきてからの介護をどのように創っていくのかといったことにも介護者も一緒に考えていくというように飛躍してきていると思います。
 また今年の6月に「寝る介2人体制」について提案しましたが、アルゴの住人である障害者が、アルゴの「生活ルール」を守らず深夜まで介護者を付き合わせてしまうという事件が起き、「今後寝る介2人体制にすることによって、夜更かしが増えるのでは…」という「危険性」が充分考えられので、「寝る介2人体制については、前向きに且つ、慎重にとりくむ必要がある」という当委員会の見解を出したいと思います。
 それと介護者を増やしていかなければ、「寝る介2人体制」を実現できないことは明らかであり、「介護者募集」のとりくみを強化し、新しい介護者も含めた介護者とのコミュニケーションをとっていく作業にも力を入れていかねばなりません。
 またKさんの自立の実現にむけた、同姓の『専従』体制を早急に創っていく作業に着手しなければなりません。
 このようにクリアーしていかなければならないことが、たくさんありますが、そのひとつひとつを介護者の皆さんと改善、解決させていきたいと思います。
 当委員会としては、「介護者会議」を障害者と介護者とが「対等な人間関係」を創造していく「場」として位置づけており、今後もっと活発な議論を創り、「対等」な関係作りの「場」として推し進めていきたいと思います。

 簡単ですが以上のことを報告し、今後の課題として提案をして、「介護者会議の報告」とします。
 

 施設委員会
 
■ 施設障害者がグループホームの対市交渉になぜ参加できたか
 大きな要因のひとつとしては施設障害者にとってある程度グループホームが見え始めているに他なりません。
 県交渉のときは初めて行政と向かい合う障害者も、アルゴに対する期待と願いを表明し、県庁職員を圧倒しました。K園で要望書を読み合わせグループホームの形を示しました。彼、彼女らが、自分たちが施設を出た後の拠点として考え始めていることは間違いないと思います。また、若い障害者のほうが顕著に見られます。K園の中で会員同士話し合い、誰が行くのが適当かまで論議しているところを見れば、組織化が進んでいることがうかがわれます。
 対市交渉の場合は直接行くことが出来ずメールでの要請となりましたが、論議した上で派遣するメンバーを決めているようで意味は通じていました。この時点で、会員全員の参加要望が来るなど、非常に積極的な動きを見せました。事務局で介護者を組織することが間に合わず2名とせざるを得ませんでしたが、グループホームの建設を自分たちの問題として考えているからに他なりません。
 もうひとつ言えることは、すぐに自立を考えていない人にとっても、我々が施設に通い施設内の問題の解決の会議の仲介をしたりしてきたことが、センターへの信頼を勝ち取ることとなっていることです。また、派遣メンバーについても、その施設の出身者を派遣することで人的なつながりに対しても考慮した結果です。
 K園については、ほとんどKさんの参加のみにとどまりましたが、要因としてKさんが富田君と結婚してから分断攻撃が強まり、Kさんから他の障害者に対して声がかけにくい状況があったといえます。Kさん本人は、その逆境をはねのけながら、重度障害者の新しい結婚生活のかたちとしてグループホーム建設を一緒に闘いました。
 このように、グループホーム建設に施設障害者の参加をえたことは、より多くの障害者の施設からの自立をかちとるきっかけをつくったといえます。施設障害者が、自ら自立する家を行政に求めていく、つまり、施設障害者が自立する先を自分で創り出すこととなり、より主体性の確立を促進するものになると思われます。
 そのような点において、今度のグループホーム建設は施設障害者にとっても大きな意義をもつことが証明されたと思います。

■ 施設委員会の組織的総括

(a)委員会会議建設の総括
 毎回であるが、施設委員会は前回話しをしたこととのつながりが非常に難しい会議となっています。実際、委員長からレジュメが提出されるが前回との連関性がないレジュメが提出されるため、まわりが前回との整合性を取るのに四苦八苦しています。
 施設委員会では、委員長自身も提案する側に変わっていく途上にあると見なければならないと思います。ここも障害者の重要な闘いとして、委員会の中でも位置付けています。したがって、施設委員会自身の動きは非常に遅いものとならざるを得ません。

(b)委員会で話してきた内容
 総会の決議を受け、(a)に挙げたような問題も抱えながらではありますが、グループホーム建設運動に施設障害者の運動をどうつなげていくかを論議してきました。
 上にあげたような、政策は施設委員会でかなりの部分は考えられています。障害者解放運動がはじまった70年代の限界性を突破するためには、やはりグループホームづくりに施設障害者の立ち上がりをつくりだすことが要求されるとの認識の上、活動を考えてきました。
 まず総括せねばならないことは、K園については、K園の持つ歴史性に立脚して活動計画を立てやすかったが、K園についてはKさんへの分断攻撃の最中、K園の障害者として活動計画が立てきれないところがあったと言えます。このことが、もう少しK園の中で障害者の中で広げていくことができなかったことは、こちら側のK園に対するかかわりの弱さ・無計画さがあったことは否めない事実です。
 その総括を踏まえ、K園に対する調査を密にし、政策を計画的に立てていく必要性があります。キャンプをやっていた頃は、表向きはレクということもあり、参加しやすかったようではあります。政策を立てる上でKさんの自立した後も、K園に責任を持って、通ってほしいと思います。本人との確認はいるけれど。

■ 方針
 Kさんの自立に向けて、さらに取り組む。
 12月くらいに施設交流会を取り組む。施設交流会の中でグループホームの話しをする。
 K園に毎月1回くらいはきちんと行ける体制をつくる。行けない場合は連絡する。
 

 第4号議案 会計報告・会計方針
 
※事務局判断で、掲載しません。
 
 第5号議案 人事  

 
※事務局判断で、掲載しません。