やまぐち障害者解放センター 第13回総会基調

 

 

やまぐち障害者解放センター

13回総会基調

2006.10.8

 


[議題1]

障害者をとりまく社会情勢

 

 福祉切り捨ての障害者自立支援法

 034月からの支援費制度で、ごく当然のことでしたが、在宅サービスの利用が増加しました。それは厚労省の予測を大きく上回り、03年度で130億円、04年度で 275億円が不足しました。0410月急遽厚労省は、改革のグランドデザイン案を発表し、052月障害者自立支援法案が国会に出されました。全国の障害者は同法案に反対を言い続けました。8月に衆議院解散によりいったん廃案になりましたが、10月に微修正で再提出されました。そして051031日、障害者の反対の声が上がる中、障害者自立支援法が国会で成立しました。

同法が064月から施行され、障害者が受けた福祉サービスの費用の原則1割を徴収され始めました。10月から新たな施設・事業体系への移行を含めて完全実施されました。

法律立案者の意図としては、○身体障害、知的障害、精神障害の福祉サービスを一元化する○就労支援を強化し、市町村の裁量を増やす○利用に関する手続きや基準を透明化・明確化する○福祉サービスの費用における国の財政責任を明確化する○障害者の世帯に福祉サービス費用の1(介護保険と同じ)を負担させる、というものでした。

 

しかし厚労相の「福祉サービスを低下させない」の言葉とは裏腹に、問題が噴出しています。 

障害者の急激な自己負担の増加

作業所などの通所施設を利用すると、作業に対する報酬として、平均で約月1万円程度の「工賃」が支給されます。今まで、通所施設の利用料はゼロであったため、支給される工賃を小遣いにすることをはげみに、「働きがい」を感じる通所障害者が多くいました。しかし自立支援法の施行後は、市県民税課税世帯で月約3万円の利用料と食費が請求されます。「仕事」をするための通所施設の利用のために、障害者に差引き2万円の自己負担が発生するようになりました。少なくない障害者が「働きがい」を失い、または、自己負担に耐えられないために、通所施設の利用を中止するようになりました。これでは、引きこもりや生活の質の低下につながりかねません。通所障害者の収入源は、2級の場合月額約66,000円、1級だと月額約82,000円、の障害年金と1万円の作業所からの工賃であり、月額3万円の利用料の自己負担は、全収入の約4割にも達する重いものです。「きょうされん」が3月に行った調査では、応益負担の影響から517の施設で329人が退所したり退所を検討していました。

311日には福岡市で、自立支援法による負担増を重荷に感じた母が重度身体障害者の娘と無理心中を図り、娘が殺された事件が起きました。

 

現場の実情と合わない施設基準による障害者施設の経営困難や廃止

障害者施設はこれまで登録人数に応じて補助金を受けてきました。今回、同法により、利用日数に応じて補助金が支払われる仕組みになりました。報酬単価設定に当たっては利用率94.5%を想定して、金額が設定されました。しかし実際の現場を見ると、多くの精神障害者通所施設では利用率は60%程度です。このため収入が減少して、経営困難になります。激変緩和措置として、利用率80%とみなして補助金を支払う措置はありますが、それでも不十分な水準です。施設職員の給与引き下げや人員削減が多く見られています。突発的に自傷、他害行為をする人や、危険認知できないまま施設外へ飛び出してしまう人や、重度のてんかん発作がある人など、多様な障害者がいる中で職員の給与を安易に引き下げ、人員削減することは障害者を危険にさらすリスクを増やすことにもつながります。

グループホームの設置基準は、6人規模が標準とされ、それより少人数のグループホームは経営が成り立たなくなりました。佐野市の社会福祉法人が精神障害者のグループホーム4カ所(31人分)を閉鎖する方針を固めるなど、閉鎖する施設が現れています。また、今後作業所を運営していくのに国庫補助を受けるためには、「実利用10人以上」が条件とされていますが、多くの作業所では10人未満です。利用者の負担増→障害者の施設利用中止→施設への補助金が減る→サービスの低下、施設の閉鎖→利用者の行き場がなくなる、という悪循環が生じます。小規模作業所やグループホームは、障害者が気軽に自分たちの問題点を話し合う場所としても機能してきました。このような小規模作業所やグループホームが閉鎖を余儀なくされることにより、障害者の社会参加、労働参加の機会がますます奪われていきます。 

 

障害程度区分の研究や準備不足

サービスを受けるための障害程度区分の判定基準は、介護保険における高齢者の判定基準をそのまま使用し、障害者での調査や研究は行われていません。このため、脳卒中などとよく似た身体的な障害がある場合には、障害の程度は比較的的確に判定されますが、身体的な障害のない知的障害・精神障害の場合には、障害の程度が重度であるのに、身辺自立しているとして軽度と判定され、必要なサービスが受けられなくなるのではないかと、懸念されています。

 

地域格差

障害者自立支援法によってもたらされた障害者福祉の変化を緩和するために、障害者対策に熱心な首長がいる自治体や、財政的に豊かな自治体では、自己負担や施設の経営難に対する独自の補助が開始されました。京都では、府と市が協調し、負担額の半分を補助するなどの政策を採りました。しかしほとんどの自治体では独自の政策を行う余裕がありません。このため、自治体間での格差が発生しています。自立支援法が掲げる平等な負担という目標から現状は乖離しています。

 

障害福祉予算は06年度予算案で8131億円で国家予算の1%程度です。障害者全体の自己負担(1割負担)の額は約700億円です。国家予算82兆円と比べれば、微々たる額であり障害者から取らなくてもまかなえるはずです。

 

障害者自立支援法では「地域生活支援事業」という制度があり、包括補助金で自治体の判断により独自の事業をできるとされています。しかし、訪問系福祉サービス事業の予算に国庫補助基準というものがあります(施設予算には国庫補助基準がありません)。自治体が基準額を超えて地域の訪問系(ヘルパー派遣など)福祉サービスをすると、超えた部分の国庫補助がありません。自治体にとっては重度障害者をヘルパー制度ではなく施設にいさせた方が財政的に有利になります。地域で生きようとする障害者の壁になります。

 

 精神障害者は、以前は精神保健及び精神障害者福祉に関する法律32(通院医療費公費負担制度)によって0割から0.5(地域によって異なる)の負担でした。障害者自立支援法によって、世帯所得による上限はありますが、1割負担分を自治体が負担する地域もありますが(大阪府など)、基本的には1割負担となり、負担増となりました。通院を控えることにより障害が悪化する危険があります。

 

心神喪失者等医療観察法=保安処分法を撤廃しよう

 057月、心神喪失者等医療観察法が施行されました。厚労省は施行前に指定入院医療機関を全国で24ヶ所700床作ろうとしました。多くの障害者が抗議しています。しかし、065月の時点で5ヶ所150床が作られました。昨年8月の厚労大臣の告示では電気ショックに3000点という他の医療行為に比べてダントツの診療報酬をつけるなど、殺人的「医療行為」を行おうとしています。医療観察法の施行状況は、法案審議の時に「殺人、放火など」重大犯罪に限るとしていたのが、決定された案件のほとんどが全治1週間程度の傷害あるいは未遂です。062月時点で検察による申し立てが201件あり、そのうち「不処遇決定12件、却下4件」であることは法律自体がでたらめであり、この法律が精神障害者の保安処分を目的としたものであることをあらわしています。

 8月に厚生労働省は、精神科病院の入院患者を減らすことを目的に「退院支援施設」を設置し、病棟も同施設に転換できる計画を打ち出しました。障害者団体が抗議しました。病院の名前だけを変え、結局、病棟に閉じ込めることになります。約32万人といわれる精神科病院の入院患者のうち、行き場がないために退院できない「社会的入院」は、厚生労働省の資料によると、72000人います。

 

軍事に金をつぎこむ政府

 小泉政権は、ブッシュに無批判追随し、イラクに自衛隊を派兵し続けています。069月までに陸自は撤退しましたが、空自はバグダッドにまで任務を拡大し、多国籍軍の人員の輸送などをしています。イラクの侵略に加担し、朝鮮民主主義人民共和国への戦争重圧をかけ続けている小泉とその政策を引きついで憲法9条改悪を狙っている安倍政権に反対しましょう。軍事費に48千億も費やすことに反対しましょう。小泉政権は米軍再編に同意しました。沖縄の海兵隊がグアムに移転するのに7000億円(障害者の福祉予算と同じくらい)、米軍再編全体で日本の負担は3兆円とも言われています。米軍は日本だけでなく、韓国、フィリピンなどでも再編強化を図っています。

 

 障害者に対する差別事件も依然として起きています。ビジネスホテルチェーンの東横インが、横浜市の条例で義務付けられている身障者用設備や駐車場を、検査直後に撤去し、改造を加えていたという事件が起きました。記者会見で西田社長は「年に12人しか使わない。一般客の使い勝手が悪い」「(条例など)違反の認識はあった。時速60キロで走るところを6768キロで走っていいと思っていた」と発言しました。

  5月末、北九州市門司区の市営団地で56歳の足が不自由な1人暮らしの男性が餓死する事件が起きました。男性は仕事を転々としてきましたが、病気も重なって働けなくなりました。家賃や300円の町会費も払えなくなり、昨年9月と12月に区役所に生活保護の申請を願い出ましたが、「息子に扶養義務があり、援助を受けるべきだ」と断られました。水道、電気、ガスも使用停止になり、衰弱していきました。今年に入っても区役所に「息子も生活が苦しく援助できないといっている」と電話をかけていましたが、結局最後まで社会保障の手は差し伸べられることなく、男性は餓死し、やせ細った亡骸が約1カ月後に発見されました。北九州市では生活保護の認定が全国でもっとも厳しく、孤独死事件が相次いで発生しています。

 小泉政権が進めた福祉切り捨ての政策により、このような社会状況が生まれています。

 

・緊縮財政政策をとる安部政権に反対しよう

・障害者自立支援法を撤廃しよう。

・心神喪失者等医療観察法=保安処分法を撤廃しよう。

・憲法9条改悪に反対しよう。

・世界中の反戦・反基地運動と連帯し、地元の岩国を始めアジアから米軍基地を撤去させましょう。

 

 


◆やまぐち障害者解放センター05年度の活動

057/3 総会

毎月11日のキャンドルウォーク参加

毎月第4日曜、商店街で介護者募集のビラまき(毎月は出来ていない)

8/6 青空集会に参加(実行委員会にも参加)

9/6 9・6式典に参加

9/19 山口県障害者差別を考える集いに参加

10/1 平壌宣言集会に参加

10/10 ともにいきることを考える集い(1)

10/21 自立支援法反対の東京の行動に参加

8〜10月 自立支援法反対ビラまき、署名とり

10/23 岩国の集会に参加

10/26 反原発集会に参加

10/29 祝島ツアーに参加

11月 連帯労組の大会に参加

11/17 APEC釜山の行動に参加

12/12 WTO香港の行動に参加

1/16 麻生が山口県庁に来たことに対する抗議行動に参加

1/21 障害者就労支援フォーラムに参加

1/28 緊急介護者会議(玲子さん「施設に帰りたい」発言)

1/29 香港,釜山の報告会に参加

2/11 集会に参加

2/19 ともにいきることを考える集い(2)

2月事務局玲子さんの施設行きを市役所と協議 施設待機者手続きをとる

2/26 岩国行動に参加

3月 岩国のビラまきに参加

3/5 岩国人文字行動に参加

3/12 岩国住民投票(ビラまき)の開票日に参加

3/16 玲子さん 施設待機者の取り消しに  (事務局に確認せず)

3/31 事務所&アルゴひっこし

4月 大学で介護者募集ビラまき

4/28 県立大学で茶話会 

5/3 活憲の総会&集会に参加

5/5 岩国基地開放デーで正門前ビラまきに参加

5/13 春の新歓企画(商店街で買い物)

5/20 住民投票の成果を活かす岩国市民の会の結成大会に参加

6/3 合祀嫌ですの集会に参加

6/11 築城行動に参加

8/6 広島での 青空集会参加 (実行委員会は、センター事務所を使用)

8/15 小泉の靖国参拝弾劾座り込みに参加

9/6 9・6式典に参加

 


◆障害者自立支援法に対する闘いの総括

 障害者自立支援法に対する闘いについては、国会闘争を含め、山口の地でも署名を集めたり、ビラまきをしたりしてきました。皆さんのおかげで、600あまりの署名が集まりました。残念なことに国会通過は阻止できていません。そもそもこの障害者自立支援法は、名前と逆の障害者抹殺法です。2000年の社会福祉8法の改悪により、障害者、高齢者の福祉は、より行政責任が軽いものに変わり、応能負担から、応益負担へと変わりました。行政が直接我々障害者の生活保障をするのが、憲法第25条の精神であったはずです。00年の法改悪、介護保険により、福祉がむしろ資本へ投げ出され、福祉を受けることがサービスを買うことという考え方が定着してきています。その上で今回の障害者自立支援法は、多くの国民が障害者に1割負担をさせることを容認したのです。労働者の待遇も変えられ、不安定雇用が多く、福祉産業で働く労働者も、生活がどんどん苦しくなっています。このことも見据えながら、昨年10・10、今年2・19に山口の障害者、労動者を集めた,ともに生きることを考える集いは、20名以上の参加をかちとりました。障害者自身で自分たちに必要な制度のあり方について論議をしようということになっています。障害者が自ら政治参加し、自らに関わる政策について、自らが決定していく過程に入ることは、民主主義の実現へ向けた一歩であると考えます。自立支援法反対闘争から新しい制度作りの闘争に向けた新たな闘いを山口から組織し、障害者の意見として国を突き動かしていく闘いへとつなげていきたいと思っています。そのためにも障害者の団結と労働者の連帯した力が必要です。より密集し、力をあわせ、闘いを広げていきましょう。

 具体的な方針として

 ・障害者自立支援法施行後の障害者への影響について調査を進め、時機を見て提訴していきたいと考えています。

 ・同法国会成立(10/31)に近い10/29()に、山口の商店街で抗議の情宣活動(ビラまき)をします。

 ・山口県、市に負担軽減を求める交渉も検討します。

 ・「ともにいきることを考える集い」を継続し、論議を積み重ねる中で、本当に障害者が必要とする制度、法(りつ)を検討する。また、自立支援法自体の違憲訴訟も論議の中に入れたいと考えています。

 

 


◆「2005年11月〜12月かけての闘争について」 

 「私達は、APECWTO 、参加」

山口から、釜山APEC香港WTO、11月17日から19日、12月13日から18日に参加しました。          

 

私達は、AWCという団体に参加しています。

AWC(アジア共同行動)とは、アジアをはじめとする世界中の民衆と連帯して平和をつくっていこうとする団体です。612月にアジア規模で共同闘争をします。

 

 

★大石君が釜山APEC反対闘争に参加しました。

 5万人がAPECを粉砕するために、会場にむけてデモ行進をしました。機動隊との間で竹の棒や鉄パイプを使って、実力闘争が行なわれました。バリケードのコンテナをロープで引き摺り下ろすなど、勝利的な闘いが行なわれました。その隊列の後方にいて解放感を感じました。APEC会場に突入するためにはブルドーザーなども使えたかもしれませんが、今後の闘いで労働者・市民がより固い団結でたたかえる様に、あえて人力で機動隊とぶつかったように見えました。デモの前に集会があり、電動車いすの障害者10人ほど参加していました。障害者の一人から、韓国の障害者解放運動の現状について話を聞きました。今メールのやり取りをしています。今後も障害者の交流を進めていきたいと思います。 

 

★麻田が香港のWTO反対闘争に参加しました。

香港につく前に飛行機中で、ニュースで見ると韓国農民たちがWTOの抗議のための、シーンがうつされていましたが私は、見て興奮していました。抗議のため海に飛びこんでいる人たちをニュース流れていました。

 香港では、広い公園中で五泊六日の闘争でした。毎日会議やデモなどその繰り返しでした。

WTO(世界貿易機構)の中で、ルールを一つにしょうとアメリカの資本や政府の思うようになりませんでした。先のAPECも日本の、政府や資本がアメリカとの一体となって農業破壊や労働者破壊など行なっています。AECWTOなど当解放センターでは、反対し立ち上がり現地へと行きました。

 

★11行動について

 2001年10月から、毎月11日山口の商店街でキャンドルウォークに参加しこの5年間つづけています。

 しかし、9.11事件によってアメリカや日本は、石油の取れるイラクへの戦争を開始する口実としました。9.11事件で6000人以上の人が亡くなりましたが、イラクではその何倍もの人たちが殺され続けています。アメリカが始めた戦争に日本も自衛隊を派兵し、イラクの人々を殺す側に立っています。このことに対して、怒りを覚え、戦争をとめようと毎月参加しております。

 

★岩国基地闘争について

 9.11以降米軍が、再編強化されようとしています。日本も沖縄、岩国、厚木、横田など基地の再編が行われようとしています。山口県で言えば、岩国基地が沖合い移設するどころか拡大強化されようとしています。住民投票運動などを支援したり、基地反対闘争に参加したり、岩国基地に対しての抗議と申し入れに参加するなど、障害者の立場から反戦を訴えて「基地は要らない」と行動をしてきました。

 

★これらの闘争は、反戦反差別闘争として、障害者解放運動の大事な柱としてやっていきたいと思います。

 

 


◆私の自立支援への思い                 冨田 玲子

 

まず、個人的なことで事務局の動きを混乱させてしまったことをお詫び申し上げます。

 

 私の自立支援の思いについて、以下に章立てて述べていきます。

 

1.困ったこと

@去年の夏はとにかく緊張が激しかったこと。

薬が変わってから、薬の調整がうまく出来なかったです。精神的に落ち込んでいたことが原因だと思います。今は薬の量や強さを変えてもらったりして落ちついています。でも心から来る緊張はなかなかとれません。そのため何回も夜中に注射を射ちに病院に行くこともあります。早く心が強くなりたいです。

 

Aよく分からないことにばかりだったこと。

           会議で出てきた難しい言葉。

 

B身体がかゆかったこととそれをヘルパーさんに伝えるのがなかなか難しかったこと。ヘルパーさんも一生懸命聞き取ろうとしているのですが、なかなか、言語障害や言葉の言い方なども悪くて分からないときがありました。今は大体分かるようになりました。とても感謝しています。

 

C誤嚥のこと。

緊張が起こるようになってきてから、ご飯が食べる量が少なくなってきています。体重も少なくなってきています。38.9kgあった体重が32.0kgまで減ってしまいました。元の体重を目指して頑張っています。最近はエンシュアという栄養剤を使ったりもしています。

 

Dアルゴのみんなと話し合いができなかったこと。

今もそうですが、あまりアルゴの他の4人とは会話をしていません。私も悪いのですが、それは私にとってはアルゴの4人は上の人で怖い人だと思うからです。それと言語障害があるのも大きい要因のひとつだと思います。

 

E介護者が少ないこと。

この8月から夏休みで介護者が帰ったり、県大の四年生は就職活動等があり、介護に来られなくなりました。私は、最初の頃寝る介護がいないと不安になり緊張がおきていました。そのたびに救急車で病院に連れて行ってもらいました。介護者に申し訳ありませんでした。(救急車で運んでくれた介護者の方には大変感謝しております)私が一年間かけて変わったことは介護がいなくても寝られる様になったことです。今は部屋の中に一人で居られる様になりました。もちろん薬を使って寝ています。今後の目標は薬を飲まなくても寝られる様になることです。

 

2.嬉しかったこと

@介護者と買い物に行けたこと。

ある女性介護者が気分転換に買い物に誘ってくれました。夫と買い物に一緒に行くことが出来ました。行くまでが大変でした。目的地のデパートには行けたのですが、行く方法などでもめたりしました。結局は私の案で行こうとなりました。とても楽しかったです。そのほかにも個人的にですが、いろいろなところへ出かけています。

 

A介護者とヘルパーさんと仲良くなれたこと。

わたしの愚痴とかを聞いてもらったりも出来るようになりました。看護師の資格をヘルパーさんがもっている人もいるので、ちょっとした医療的な相談をしたりもしています。

 

Bみんなとイベントができたこと。

A.焼肉パーティ(新歓企画)

B.誕生日会

C.クリスマス会

みんなと最初からイベントをつくるのは大変だったし、手伝ってくれる介護者を呼びかけたりすることも初めての出来事でした。新歓企画を毎年春にしていて、実行委員をやったりしています。これも大変でした。

 

C一人で買い物が出来るようになったこと

最初はどうやって買い物をしているのかわからなかったです。服屋さんのレジの近くでなんとなくうろうろしていたら、店員さんが声をかけてくれました。口だけでは伝えづらかったので、手製のあいうえおを書いた文字盤にかいてある文字を、ひとつずつ、指でさして会話をしたりしました。いまでは店員さんとも仲良しになり、言葉も聞き取れるようになりました。少しずつ行動範囲が広がっています。

 

D新しい市営住宅に引越ししたこと

今年の330日に、やまぐち障害者解放センターの仲間のおかげで新しくできた市営住宅にうつることができました。今年の1月ぐらいから、自分の荷物を片付けることを始めました。なかなか片付けることが出来ませんでした。引越しは大変だなと思いました。よく高嶺園を一日で出られたなあと思いました。みんな市営住宅で暮らすのは初めてというのもありましたが、こんなに大きい住宅だとはおもいませんでした。夫と同じ部屋で暮らしています。

 

3.施設に帰りたくなったこと

 去年の11月から施設に帰りたいと思い始め、11月の入居者会議でそのことを入居者に話しました。その理由は、あまりにも救急車で運ばれることが多かったことと、そのときの女性介護者の負担が大きかったことです。私はここにいたらみんなに迷惑がかかると勝手に思い込んでしまい、一部の介護者に「施設に帰りたい」ということを話しました。その介護者も「玲子さんが施設に帰りたいと言うのであれば協力してあげる。」と言ってくれて、介護者会議をやってもらいました。そのためにいろいろと資料をつくってもらったりしましたが、そのときも本当の気持ちはよく覚えていません。とにかく身体がきつかったことしか覚えていないです。しかしながら、特定の介護者だけに相談を持ちかけたのは私の悪いところでした。その原因は、11月にみんなと相談したときに、もうちょっと親身になって聞いてくれたらよかったと思うし、こういうことにはならなかったと思います。一度だけど心が落ち込んでしまい、あんの内科に行くときに赤信号に突っ込もうとさえ思いました。

 そんなときに、夫が「籍を入れよう」と言ってきました。私たちは、結婚はしていたのですが、籍は入れていない、いわゆる事実婚でした。しかし籍をいれたことがきっかけとなり、少しずつ立ち直ることとなりました。

 今は、医療への不安や、介護者不足、夫とときどき喧嘩になることなども依然としてありますが、夫のことが好きだから、もうちょっと夫と一緒に生きていこうと思っています。最後になりましたが、私が少しでもアルゴで生きていこうと思うので、これらの問題に取り組んでいきたいです。また今までお世話になった方々にこの場を借りて感謝を申し上げます。

 

 


◆玲子さんの自立支援について

 

 [].玲子さんの『自立支援の思い』の文章に書いてある事について

玲子さんの『自立支援の思い』の文章のD中の「あまりアルゴの他の4人とは会話をしていません。私も悪いのですが、それは私にとってはアルゴの4人は上の人で怖い人だと思うからです。」は、これまでの入居者会議のあり方から来て(きて)いる。

玲子さんが加わる前,入居者会議は、ある程度障害者差別を認識した者達の会議であった。「障害者差別」を社会問題として捉え切れているかである。我々は、施設を障害者差別の表れまたはそのものとして位置付けていた。

「施設へ戻る」と一番最初に言われたことに、ものすごく反応し、反論した。周りのものとしては、施設を退所する(さい)、自分たちの時間もほとんどなく、限界以上の力を出し、支援してきた。その思いもあって、かなりきつい言い方になったことは間違いない。ひいて見れば、次のことが言える。

 

1.コミュニケーションのとりかたについて

互いがコミュニケーションをとるときの一番最初に使う言葉の選択ミスである。互いに結果を最初に言ってしまっており、相手に対する配慮が足りていない。それまでのお互いの取り組みを見ず、自分が一番きついのだという思い込みをしている。また、互いの言動に対して気が付いたときに言うのでなく、かなり自分の中で溜め込んで発言している(会議の中で)。この事が自分の中での結論を最初にぶつける結果となっている。

障害者が自立生活することは、現社会に出ることを阻害(のけ者にする)するところに入り込むのであり、それ自身が闘いとなるのである。現在の社会の当たり前が、障害者の存在を否定し、社会の外側へと追いやっているのだ。このことを入居者、事務局皆で確認しなければならなかったはずである

 

2.差別のとらえ方についての問題

やまぐち障害者解放センターは、障害者差別と闘う団体である。運動の4本柱に「差別糾弾の原則を貫いて闘うこと」とある。このことが意味する差別とは、文章どおり現在の「競争原理や能力主義」(個人個人の能力に優劣をつけ差別化していくことにより、障害者が地域で生きにくい社会をつくる考え方)によって作られていく価値観そのものとの闘いを意味する。たとえ障害者である自分たちであっても、競争原理と能力主義の価値観を自らの中に持っており、それ自身とも闘わなければならない。また現在の社会の価値観のほうに自分を合わせ、生命保持を図ろうとすれば、「宥和主義」(競争原理や能力主義の結果、差別があることを無視して仲良くしましょうという考え方)にのっかることになり、障害者自らを解き放つことはならない。このことを玲子さん自身にどれだけ話せてきたか、お互いに理解を深めようとしてきたかが、現在問われていることである。

 

3.介護の捉え方について

個人個人少しずつ差はあるが、当解放センターでは、学生や労働者を自ら集め、介護者としてきている。健全者に障害者の現実を伝える手段としても、このような方法をとってきた。自分たちの出来ないことをしてもらうのもあるが、むしろ差別の現実を伝えていく場として、障害者と健常者 が介護を通じて関係を取り結んできているのだ。単に自分の出来ないことをしてもらう事を介護として位置づけるのではなく、健常者障害者差別を考えることを通して現在の社会の価値観やシステムを捉えなおすことさえも要求しているのである。もちろんこの考え方はアルゴの住人の中でも温度差があることも押さえておかなければならない。少なからずこのような障害者差別を認識してもらおうという努力を、介護の時間の中でも取り組んでいることを伝えてきたかどうかにもある。上記した温度差が介護者にとっては違いととらえられ、解放センターがばらばらであるというような見方もされている。しかし基本的には上記した考え方「差別糾弾」として、今までの施設経験から含め、来る介護者に伝えてきているはずである。新しく玲子さんを迎え入れるにあたり、この事をもう一度確認せずにいたことが、差別と闘う姿勢作りが乏しくなっている。

 

[].玲子さんの書いた『自立支援の思い』に書かれていないこと

玲子さんが書いた『自立支援の思い』はあくまでも本人の現在の思いであり、事実関係とはかなり異なっている。1でも述べたが、「施設へ帰る」という言動への反省については書かれていない。彼女の文章によると「親身に対応してほしかった」と書かれているが、事務所の引越しの準備をしなければならないにも関わらず、施設へ入れるよう市役所との交渉を進めるなどの玲子さんの意見を考慮し、親身に対応をしてきた。11月の時点(じてん)で一度相談したと書いてあるが、「施設に帰る」というのが前提の話であり、玲子さんの脱施設の闘いに支援(しえん)してきた我々にとってとても容認できるものではなかった。文章に書かれてある学生介護者の相談であれば充分聞けたであろうが、いきなり施設に帰るという発言から始まった。相談する内容を先に提示し、「介護者のことで困っている」などの相談であれば、他の入居者も同じ思いを共有できたのではと思う次第である。それから介護者の抱え込みを開始し、緊急介護者会議なるものを開かせ、事務局を混乱させることとなったのも提案のしかたが悪かったとしか言いようがない。また違う例で言えば、8・6広島青空集会や、岩国反基地闘争を強制したようなことを病院にまで言っている。こちらの表現が強制に聞こえたのかもしれないが、解放センターの外にぶちまけて不満を解消しようなどなおさら障害者同士の信用を失うことを自らが行っているのである。また、午後から依頼しているヘルパーの時間などを会議にかけることなく無断で変更し、事務所に出てこなくなるなど、施設から出る前の約束を自ら解消し、センター側に不信感をあたえた。夕方のヘルパーの役割としては排泄の介護のみであり、それが終わった後は事務所の仕事に戻るようになっていたはずであった。しかし、1時間のヘルパー時間の全てを使い、他の介護(おやつ、体を拭くなど)をヘルパーに依頼するなど、自分勝手な行動を行い、その上会議や勉強会などで説明したはずの運動の意義を理解していなかった。活動に参加していなければ、活動について理解できないのは当然のことであり、積極的に理解を深めて活動に参加しようとしなければ、周りの入居者の話についていけないのも当たり前のことである。また他の入居者の面々が活動の意義を理解できるのは理解しよう、参加しようと努力した結果である。障害者が地域で自立して生活するということは、このような闘いを通じてしか獲得できないのである。

 

.自立支援の組織のあり方について

 玲子さんの施設退所を支援するために、事務局は、施設での彼女の発言を事務局会議で分析し、よくわからないところについてはもう一度聞きに行くなど、本人のいないところで取り巻く状況や精神的な不安定な要因も分析し、支援内容を決定してきた。

 本人が出てきてからは一定の事務局での役割を果たしてもらうように取り組んできた。また出る前からの約束でもあった。 

 しかし、施設退所後に本人のいるところで、本人をとりまく状況や本人の精神状態などを事務局会議で分析することは、客観的なものにはなりにくいものであった。

 なぜなら本人が問題となったときに思っていたことと、会議のときに思っていることが違っていたり、変につくろおうとしてしまい、事実を押さえにくい面があった。

センターとしては自立支援をする際に事務局会議と別に会議を設置し、客観的な評価をしたうえで事務局全員が同じ支援体制で臨むほうが良いのではないかと思われる。玲子さんと自立とは何か、差別とは何かについて日常の中で論議をし続ける。

それと、自立を希望する障害者に対しては「自立とは何か?」「自立することの大変さ」など自立に(かん)して本人自ら考えてもらい、決して楽なことではない上、社会に横行する障害者差別や偏見にもまれ、莫大な精神的・肉体的負担がかかってしまう可能性があるということを的確に伝え、それでも自立がしたいのかどうなのか本人の確固たる意思を証明してもらう必要があると考えられる。これもまた、玲子さん本人の自立後、共同生活をしてみて、わかってきたことのほうが多い。

 


◆グループホーム運動について

  

 06年4月1日、「やまぐち障害者解放センター」の事務所兼重度障害者の地域生活の拠点として位置づけている、グループホーム『アルゴ』を改築された矢原市営住宅の中に移転しました。

『アルゴ』は施設に入所されている障害者の自立に向けたトレーニングの「場」として、また労働組合や学生運動をやっている人たちとの交流の「場」など、多様に利用(りよう)しています。

私たちは「重度障害者の地域での生活は行政が保障するべき」と考え、市や県の障害福祉課と公営住宅を管理している建築課などと99年から、約7年間の交渉をしました。

その後県・市交渉の時に、幾度か市会議員や県会議員の人たちなども参加してもらい、日常介護に入っている学生や労働者とともにたたかいぬき、「重度障害者の地域での生活の『拠点』」づくりに勝利しました。

身体障害者用のグループホームの制度がないので、第1回目の市障害福祉課としても民間の借家を探してみようということになり、市と私たちがそれぞれ探しました。私たちが家探しをしたときには、障害者の姿を見ただけで断られたり、「障害者だから火を出されると困る。」と言われたり、障害者が家を借りようとしたときの社会の冷たさは20年前となんら変わっていないことを痛感しました。このことは山口市障害福祉課も同様だったのではないでしょうか?

山口市福祉事務所障害福祉課の課長が、厚生労働省まで足を運んだり、また違う職員が私たちの生活の実態を見に来たり、私たちの主催する「施設障害者との交流会」に出席することによって、私たちの主張に対して徐々に理解していこうというのが、言動として現れはじめたきっかけとなったのは、私たちの粘り強いたたかいの結果といえるでしょう。

今の私たちをとりまく社会情勢は、非常に厳しくなっています。『障害者自立支援法』の下、福祉サービスに対し、10%の自己負担を義務付けています。これは障害者の社会参加を促すのではなく、この法律でもって障害者に合法的に死を強要する法律です。

 去る926日、小泉政権から安倍政権へと政権交代がなされました。しかし、首相の名前が変わっただけで、安倍政権は小泉政権の頃の『軍事大国化()路線を継承し、健全者を戦場に行かせ、他国の人たちの生命を奪うようにマインドコントロールをしようとしています。このことをもって、「帝国主義」の本性をむきだしにしようとしています。

 私たちはこのような政府の動きを許すことはできません。

このような戦争に向けた社会情勢・政治の動きの中にあって、公営住宅の中に、障害者が集まり、つどえる『場』を行政に作らせたことは、非常に大きな意義があると思います。

私たちは障害者の集団生活の中で互いの考え方の違いなどを語っていく中で、障害の違いや育ってきた環境の違い、また、今まで受けてきた差別の内容的な違いを認めていき、障害者にありがちな「競争心」や「能力主義」を取り除いていかなければ、健全者との相互理解はおろか、真の障害者の「団結」はありえません。今グループホームの入居者の中でこのことが一番問われている課題であると考えます。今後先に述べたことを入居者全体でクリアしていく必要があります。

 私たちは、これからも地域の中で生きていくことの大切さやすばらしさを、若手の障害者や介護者たちと共に考えていきたいと思います。

また若年層の障害者の仲間を迎え入れていきたいと思います。

 簡単ですが、グループホーム運動のまとめとします。

 引越しを手伝ってくれたみなさま、ありがとうございました。

 グループホーム交渉について、詳しい経過を書き、パンフレット等の冊子を作ります。


05年度施設委員会の総括

冨田政昭

 

施設委員会会議のテーマ

057月 高嶺園の対応が厳しくなった件について。

125日 華南園に行きFさんに10.10の呼びかけをした件。華南園では職員がそばにいて話を聞きにくいので、アルゴに来てもらい、話したい。

061月23日 Fさんに2.19の呼びかけをした件。Fさんから「運動にはあまりかかわりたくない」というメールが来た。市営住宅の新アルゴを見てもらおうと話した。なでしこ園に行き2.19の呼びかけをした件。

玲子さんのアルゴでの生活の困難さ(誤嚥が多いなど)について。

4月17日 Fさんからのメールについて。

515日 玲子さんの「施設へ帰りたい」という発言について

6月17日 玲子さんの「施設へ帰りたい」という発言について

9月13日 1年の総括について話した。

★現在、冨田の課題として、施設に訪問したことを記録することと、月1回の会議でレジュメを準備することがあげられる。

 

@華南園

 Fさんに自立してもらいたいと思っています。0510月冨田が華南園訪問し、「アルゴに遊びにきませんか」と呼びかけましたが、まだそれは実現していません。アルゴが矢原市営住宅に引っ越して、段差も少なくなり、Fさんも来やすいので、来てもらいたいと思います。県・市に対するグループホーム交渉でFさんも参加し、「自立したい。結婚したい」と発言しました。Fさんの力もあって市営住宅入居が実現したので、来てもらいたいと思います。

  

A高嶺園

 玲子さんが高嶺園を訪問したら、「面会は面会室でのみ、時間は1時間まで」と言われました。高嶺園からは、「池田小学校の事件があったから防犯を強化する」という理由が言われましたが、私は、「玲子さんのような糾弾闘争や退所騒動が再び起こらないように」という理由だと思います。

 それに対して今後、調査や、面会室以外で話すなど反撃をしていきます。

 

Bなでしこ園

 行って、2・19に参加を呼びかけました。話をできる知り合いが何人かいます。

 

 

C玲子さん

 061月、「施設に帰りたい」と言いました。その理由は介護者がいないことと、玲子さんの体調を維持できる医療体制がアルゴにないというものでした。2月に施設に入所を希望する待機登録をしました。訪看が来るようになり、ヘルパーの風呂が週2回になるなどで、玲子さんの状態がだんだん落ち着き、3月に待機登録を外しました。そして今も介護者がいないことは変わりませんが、なんとかアルゴで生活しています。

 風呂を週2回にすることや、待機登録を外すことは玲子さんが独断で行い、仲間の入居者に対して事後報告でした。仲間の入居者は先に会議で話してから動いてほしいと思っています。玲子さんには会議を最優先してほしいと考えます。玲子さんと仲間の入居者との団結をつくることが最も求められています。

 

 人事

 

                    代表                藤井  

                    事務局長          大石

           施設委員会     冨田

                      会計              麻田

                               監査              山縣

                                  代表代行 大石